カメラは平和な国に普及する

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10年位前にある先輩に言われたことがある。
”カメラはどんな国に売れると思う?”
その後の言葉は、
”カメラは平和な国に普及するんだよ。”
”そうなんですか〜”と薄っぺらに答えていたと思う。
10年が経ち、その言葉の意味が響く。
なんのために撮り続けているのだろうとた疑問に思うことがある。なんでも継続してやることは難しいことでカメラを置きたくなる時もあるのだが、意味を見出そうとすると”平和”という先輩の言葉を思い出す。

ユーゴスラビア紛争の話をドキュメンタリー番組で放送されていて考えさられた。
ユーゴスラビアで内戦がおき、国が6つに分かれるハメになって、今でも一方は”あいつらは許せない”とか”あいつらのやったことは卑劣だ”なんて両者とも言い続けている。サッカーの試合でアウエー側の国歌が流れれば、それを完全にかき消すようにブーイングが続く。序序に状況はよくなっているようだが。
僕には、ユーゴスラビア人内の民族の見境がつかないし、欧米人は寛大で平和的な人が多いのではなんていうイメージを持っていたので衝撃的でもあった。
そして、その時に思ったのが隣国と上手くやっていくことは難しいのかなと。そして隣人も。
もう一つ、当事者同士は重大な問題でも全体から見たら、それほど対したことではない。
アジア人という括り(欧米人は日本人と隣国の人の区別がつかないでしょう)で、日本、その他の国も友好的な関係を継続してもらいたいものである。隣国と上手くいくのは難しいと肝に据え、相手が間違っているような場合でも寛大な親心のようなもので平和を一番に考えて未来がよりアジア地域も平和的な状態が続き、豊かになればいいと祈る。
”子供””笑顔””結婚””家族””仲間”、カメラはそんな時に活躍するというのが僕の結論だ。