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記載する話題が特にないので人気メルマガ”President"より
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Today's President!

株式会社イオンフォレスト
代表取締役社長 岩田 松雄 氏

● 岩田社長のこれまでの経歴を教えてください。

何度か転職をしているのですが、1982年に大学卒業後、日産自動車に入社しました。こちらには約13年在籍していまして、その間に社内留学制度に合格をしてカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のビジネススクールへ2年間留学していました。

● 最初の会社では、どのようなことをされていたのでしょうか。

日産では、さまざまな業務に携わらせていただきましたね。最初は生産管理、その次がサプライヤーさんのTQC(Total Quality Control)活動の指導、それから車のセールスマン、フォークリフト部門での購買を経験しました。ここまでいろいろと経験させていただいたのですが、もっと経営の専門的な勉強をしたいと思い、社内留学制度に手を挙げて留学したのです。 帰国後は自動車部品の輸入部門の担当になりました。その部門では、日米貿易摩擦の関係から、主にアメリカから車の部品の輸入を行なっていました。その後、社内公募制度を使い、財務部門へ異動しました。

● 財務部門ではどのようなことをされていたのですか。

財務では、資金調達や金利スワップ、債権流動化、格付け対応などを担当していました。UCLAで専攻したファイナンスの内容が、そのまま応用できてすごく楽しかったですね。
それから2年ほど資金調達を担当していました。仕事はおもしろかったのですが、日産にいると経営に近い仕事をするには、まだ20年近く待たなくてはならないと思うと、気が遠くなっていました。そんな頃にコンサルティング会社にいる友人から、「一緒にやらないか」というお話をいただきました。
そして外資の戦略系コンサルティング会社であるジェミニコンサルティング・ジャパン(2003年にはブーズ・アレン・ハミルトンと経営統合)に入社しました。入社した当時、ジェミニでは、「トランスフォーメーション」―「企業の変革」というコンセプトがよく使われていたんですね。入社してみて実際に自分が感じたのは、これは日産でやっていたTQCにかなり近いということでした。ひょっとして日本のTQC活動を焼き直しているんじゃないかと錯覚するくらいに、かなり近いコンセプトを持った会社だったんです。ここで私は2年経験を積みました。自分でリスクを抱えつつも意思決定をする・・・そういうポジションで仕事がしたいという気持ちが強くなっていたんです。

● そちらでの経験で、どのような気付きを得られましたか。

物事を論理的に考えること、人を説得するプレゼンのスキル等とても勉強になりました。
2年やってみてはっきり分かったのが、コンサルティングはあくまで主体ではないということでした。やはり自分でリスクを抱えつつも意思決定をする・・・そういうポジションで仕事がしたいという気持ちが強くなっていたんです。その頃、良いお話をいただきまして、日本コカ・コーラに移りました。
4年間の勤務のうち、最初の2年は資材購買を中心とした業務を行っていました。たとえば飲料缶やダンボールの調達などでは、アメリカ本社からも注目されるぐらいコストを大幅に低下させるという実績を出しました。これには日産の購買での交渉スキルと、ジェミニでのコンサルとしての分析スキルを活かせました。やはり業界が違っても物事の原理原則は同じという印象を受けましたね。

● そのほかには、どのようなことをされていたのですか。
後半の2年は調達の効率化を目指し、集中購買を目的とした会社を作りました。そもそも各ボトラー(たとえば東京コカ・コーラ、近畿コカ・コーラなど)が、それぞれ別々に缶などを調達していたんです。私自身はコカ・コーラの本社にいたので、もしこれらのボリュームを一つにまとめていけば、大幅なコスト低下につながるはず―つまり、「ボリュームディスカウント」―と考え、集中購買を徹底していったのです。

● いつ頃から経営に関心を持つようになられたのですか。
もともと日産に入社したときに「私は、日産自動車の社長を目指して頑張ります」と宣言していたんです(笑)。だから経営に対しては非常に興味があり、経営面をもっと勉強していきたいとずっと思っていました。コカ・コーラに勤めることは、ブランド的にも認知度は高いですし、それなりに満足のいく待遇でもありました。しかし、待遇が良いからといってこのままコカ・コーラに勤続していては、アトランタ本社主導のコカ・コーラでは経営については学べないと感じました。 そんなとき、またしてもタイミング良く、ヘッドハンティング会社から話をいただいたんです。それはプリクラで一世風靡したアトラスという会社からで、社長室長いずれは社長へというお話でした。ただ当時の会社状況はプリクラブームで上場したものの3期連続の赤字続き、創業者が後継者を探しているという状況でした。この話をいただいて、正直半年ぐらいは迷っていました。捨てるには惜しい、コカ・コーラというブランド・・・。しかしその迷っている間ずっと創業者に「白紙のキャンバスに自由に絵を描いてくれ」と口説かれていまして、最後には「そこまで言っていただけるのなら、お願いします」という感じでお引き受けしました。そのときに考えていたのが、今後この10年ぐらいの間に、専門経営者マーケットが確立するであろうということでした。つまり、プロの経営者に対するニーズが出てくるのではないかと思っていました。アトラスに入社して仮に失敗をしたとしても、その経験自体は絶対にプラスになるじゃないですか。けれども、そのままコカ・コーラにいればそうした経験は積めません。上場企業でもあり、すでに200億円以上の企業規模でもあったので、思い切ってアトラスに飛び込むことを決意したのです。

<1/10> 続きは来週。
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